「やらされ感」を感じさせないレッスンって?

ありがたいことに、このところ立て続きに3件の体験レッスンを行いました。(ご入会いただけるかは、まだこれから・・)

そのうちのお二人の方が、子どものころピアノをやっていたけれど、「好きではなかった」「やらされ感があった」とお話しされました。

実は、こういうお話し珍しくありません。今レッスンに来ている子の親御さんからも、複数の方からお聞きしています。

姉妹サイト「だいすきおんがく!」の記事へも、似たようなコメントをいただいたことがあります。

⇩こちらの記事へのコメント。

「子どものころピアノ習っていたけど、好きじゃなかった」

こう思っている大人は想像以上に多い、という印象です。

これって、ピアノを教えている身としては、なかなか重大事項。考えさせられることですね。

何を隠そう私だって・・

私も、もちろん子どものころレッスンを受けてきたわけですが、私自身はレッスンが嫌いではありませんでした。むしろ好きだった。

でも、本当の意味で音楽を演奏する楽しさを知ったのは、ピアノのレッスンからではありません!中学高校での吹奏楽部での経験です。

10年以上通ったピアノのレッスンではなく、その半分の期間しかかかわっていない吹奏楽から、だなんて・・

それに気づいたときは、少々ショックだった。

⇩こちらに詳しいです。

ピアノと吹奏楽(レッスンと部活)何が違ったの?

ピアノと吹奏楽。この二つで経験したことの違いって何なのか・・

ひとつ思うのは、自分が主体なのか受け身なのか、ということです。

吹奏楽は、一人一人の責任がかなり重いです。

合奏なので、自分のパートにしっかり責任をもって、練習をきちんとし、吹けるようにならないと、曲自体が成立しません。

自分の役割がはっきりとあって、それに対して積極的にかかわって役割を果たさないと、曲そのものに大きく悪影響を与えてしまうんですね。

誰かがやってくれる、という受け身ではやっていけないんです。

自分のかかわり次第で音楽が変わる。みんながそんな緊張感をもって自分の演奏をし、それらが一つになって音楽が出来上がる。

そうした経験が、音楽を演奏する楽しさに繋がったのではないかと感じています。

それに対してピアノのレッスンは、先生がすべて導いてくれます。言われる通りにやっていれば、弾けるようになります。

少なくとも、私の受けてきたレッスンはそういうものでした。それを疑問にも思わなかったわけですが。

主体的にかかわらざるを得ないのと、受け身でもやっていけてしまう状態。

この違いは大きいように思います。

真の「楽しい」は主体性があってこそ

昔のピアノの先生は厳しかった、とよく言われます。「先生が怖かったからピアノが嫌いだった」という話も聞きますね。

今は、「楽しいレッスン」が主流です。ここ「音楽室ゆう」だって、「楽しいレッスン」を大事にしています。

「楽しい」は、何においても大事です。今のこの「楽しい」という経験があるからこそ、「楽しい」がどういうことかを知ることができ、将来への希望を持てるんです。

でも、真の意味での楽しさは、つらいこと苦しいことも含めて「楽しかった」と思えることではないかな、と思います。

ピアノを弾けるようになるには地道な練習が必要です。その練習そのものは、決して楽しいものではありません。

「この曲が弾けるようになる」という、「自分の望む」未来が見えるから、楽しいと思えるんですよね。

受け身だから「やらされ感」になる

真の楽しさを感じられるためには、主体性を持つことが必要だと思います。

この曲が弾きたい。こんな風に弾きたい。こんな演奏ができるようになりたい。

自ら湧き出てきたこんな気持ちがあるから頑張れる。練習そのものが楽しいのではなく、その先の望む未来が見えるから「楽しい」になる。

こういうことだと思います。

昔の先生(大人になった生徒に「ピアノ好きじゃなかった」と言われてしまった先生)は、これをお膳立てしてしまっていた、ということかなと思います。

もちろん、良かれと思ってのことですが。

「ピアノが弾けるとはこういうこと」と未来を決めてしまい、そのためには、今これをやらなくては!あれも必要!そして、これはやってはダメ!あれもダメ!

先生は、将来が見えてしまっているからそうなるんですよね。

でも、生徒の側からしたら「未来が決められてしまっている」。

意思がはっきりしている子ほど、「やりたくない」「つまんない」になるんですね。

すべての原因がそこにあるとは思いません。「ピアノが好きじゃなかった」人は、ただピアノに向いていなかっただけかもしれません。

みんながみんな、ピアノを弾きたいと思うわけではありませんから。

でも、これはひとつの大きな原因ではないかと思います。

道を示した方がやりやすいけれど

私は、今レッスンに来ている子たちが大人になった時に、

「子どものころピアノ習っていたけれど、好きじゃなかった」

言われるのは嫌です。誰でも嫌だと思うけれど。

すごく弾ける という風にならなくてもいい。(なれば、それはそれでうれしいけど‥)

大人になった時に「ピアノ、またやってみよう」と思って、弾いてもらえるのが一番うれしいです。

そのためには、今、主体性をもってピアノにかかわる、ということがとても大事だと思っています。

自分はどんな曲が好きで、どんな曲を弾きたくて、どんな風に弾きたいのか。

そういう明確な「目標」をもって、その上で、どうすればいいのかを自分で考える。

レッスンでは、そうなれるようなかかわりを大事にしたいと思っています。

「やりたいことをやろう!」と伝え、こんなのはどう?あんなのはどう?といろいろと提案し、あなたはどうしたい?と地道にしつこく問いかけ・・

「さあ、これをやりましょう」「次はこれね」と、道を示していった方がよっぽど楽なんです。

でも私は、

「子どものころピアノ習ってたんだけど、結構楽しくて。またやろうかな」

そういう声が聞きたいです。

ただやりたいことをさせていればいい、ということでは決してありませんが、必要なことではないかな、と思っています。

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