「自分らしい演奏」は想像力と自己探求から

ピアノのレッスンは、作曲家が作ったすでに出来上がっている曲を弾けるようにしていく、という形が一般的です。

「すでに出来上がっている曲」というのは、作曲家の思いの詰まった曲。どう弾いてほしいのか、ということも示されていて、それを含めて一つの曲です。

つまり、フォルテやピアノ、クレッシェンドやデクレッシェンド、スラーやスタッカートや・・Andanteなどの速さや・・

たくさんの記号が書かれていて、それを守ることを求められます。

なので、「音も記号も楽譜通りに弾けた!オッケー‼」となりがち。

でもそれは、確かにオッケーかもしれないけれど、「自分らしい演奏」ではないですよね。

演奏に「自分」を入れていく それがピアノを弾く面白さ

ピアノを弾く(楽器を演奏する)楽しさって、”楽譜通りに弾けた”の先にあるんですよね。

楽譜にはいろいろな記号が書かれていますが、それをどう弾くかは本人に任されています。

フォルテ一つをとっても、どのくらいの大きさの音か、は明確に決められてはいません。

速さだってそう。

例えば、Andanteは「歩くような速さで」と解されることが一般的ですが、♩=〇というような形で決まっているわけではありません。

速くもなく遅くもなく、ってことかな~・・ニュアンスとしてこんな感じ。

弾く人に任されているんですね。

そこに「自分としてはどうするのか」を入れていくことになります。

かなり明確なイメージをもって入れていきます。そうすることで、演奏に「自分らしさ」が出てくるんですね。

「自分はどうしたいのか」をしっかりと考える必要が出てくるんです。

その前提は想像力

「自分はどうしたいのか」が大切だといっても、好き勝手していい、ということではありません。

既存の曲を演奏するということは、その曲を作った人がいるんです。

作曲者の気持ち、考えを無視することはできません。

例えば、フォルテが書かれている部分について

なぜここにこがフォルテなんだろう・・このメロディーの流れの先にフォルテがあるっていうことは、ここに強い思い入れがあるってことかな・・?

「フォルテが書いてあるから音を大きくする」ではなく、作曲者はどんな思いでここにフォルテをつけたのかを考える。

作曲者は何を考え、どんな思いをこの曲に込めたのか、を想像し、それを受けて自分はどう弾くのかを決めていく。

それが大切です。

想像力+自己探求=自分らしい演奏

こう考えてくると、ピアノを弾く(能動的に音楽とかかわる)ことは、かなり自分と向き合うことになる、と感じられるのではないでしょうか。

想像力を働かせて作曲者の気持ちに思いをはせ、それを受けて自分はどう考え、どうしていきたいのかを決める。

ピアノを弾くって、その繰り返しなんですよね。

想像と自己探求の繰り返し。

こういう経験は、きっと、ピアノ以外の場面にもつながることだと思います。

広い視野を持つことだったり、周りとの関係から自分を見つめたり。

私がこういうことを考えるようになったのは、完全に大人になってからです。

子どものころは、言われたことを言われた通りにするレッスンだったので、「自分らしい演奏」をしていたかは疑問です。

だから今、この「音楽室ゆう」のレッスンでは、まず「自分の好きな曲を弾く」ことを大事にしています。

そして、なぜ自分はその曲が好きなのか?を考える。

そのことは、自分の好きなその曲を作った人のことを考えるきっかけになると思うので。

そこから大いに想像力を働かせて曲のことを知っていき、それを自分の内面に返していって「自分らしい演奏」につなげていってほしいと思っています。

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