ピアノの練習するのは誰のため?何のため?

ピアノの上達には、練習がつきものです。

一週間に一度や二週間に一度、レッスンに来て弾くだけでは、なかなか弾けるようにはなりません。

そこで、毎回のレッスンで、お家での練習課題を出すことになります。

そのお家での練習が、なかなか難しかったりするのも事実。

でも、そこでピアノへの本気度が試される、とも思います。

練習を「よし、やろう!」と思えるかどうか

簡単には弾けるようにならないピアノ。

レッスンの最中でも、家で弾いていても、どうもうまくいかない・・となれば、気持ちが萎えてしまって弾きたくなくなります。

それは当然。気持ちはとても分かります。

でもそこで、はあ~~・・とため息をつきつつも、イライラしつつも、

「よし、もう一回弾いてみよう!」

と思えるかどうか。

もうひとがんばりできるか。がんばってみようと思えるか。

そこが、上達するかどうかの分かれ道だと思います。

逆に、もうひとがんばりしようと思えないのであれば、ピアノは自分には合わなかった、ということなのではないかな、と思います。

何のための「もうひとがんばり」なのか

そこで問題になるのが、そのもうひとがんばりが何のためなのか、ということです。

もし、「よし、やってみよう!」と思ったとしても、それが

「練習しろってうるさいから」とか

「ピアノの先生に怒られるから」とか

そういう理由なら、あまり意味はないですよね。

誰のため、何のための「もうひとがんばり」なのか。そこをはっきりとさせることが大事。

「自分が弾けるようになりたい」から、もうひとがんばりする。

そう思えるのなら、ピアノに対して本気だということなのではないかと思います。

そうなれると、がんばること自体を楽しめちゃう。はたから見えるほど本人はがんばったつもりはない。

そうなれば、上達します!早いです!

私の役目はピアノの楽しさを伝えること

そう考えてくると、私の役目は、ピアノって楽しいよ!音楽って面白いよ!ということをいかに伝えるかだと思います。

そこをちゃんと感じてもらった上で、

もっと弾けるようになりたい。だから練習をする。

そういう流れが一番理想的ですよね。

というか、そこがないまま「自分が弾けるようになりたいからがんばろう」とはならないですね。

せっかく始めたけれど、残念ながらピアノは合わなかった。

ということはあると思いますが、ピアノの魅力を伝えきれずに終わってしまうのは一番悲しい。

もしかしたら、ピアノの魅力を伝えられなかったから「自分には合わないです・・」になってしまったのかもしれないし。

何のために練習するのか、を考えてもらう前提として、ピアノの魅力をしっかり伝えることがとても重要。

それが先生の役割だと思います。

ピアノは弾けなくてはいけないものではない

ちょっとうまく弾けないとすぐにやる気がなくなって、たいしてやりたいことではないのに他のことをやろうとする・・

レッスンで、先日来そんな様子の子を見ていて

私

どうしたいんだろう・・ピアノ、弾けるようになりたい?

弾けるようになりたいのなら、もうひとがんばりが必要だよ!

何もしないのに弾けるようにはならないよ!

といったことを話す場面がありました。

しょぼんとなりながらも考えたその子、

弾けるようになりたい

と話し、再挑戦。

やる気がなくなれば集中力も消える。

集中力を取り戻せれば、しっかりと弾くことができました。

そんな出来事があって、上に書いてきたようなことを考えました。

ピアノは、必ず弾けなければいけない、というものではありません。

ピアノが弾けない人なんてたくさんいます。

でもやるのは何で?

そんな根本的なことをしっかりと考え、意識することは、弾けるようになるためにとても大事なことだと思います。

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